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新章

オオオオオ。
大気が震えるような咆哮。
赤い竜は、尾をくねらせて、岩盤に叩きつけてガラガラと岩が落ちてくる。
「荒れているのね」
ふわり。
まるで風の精霊シルフのように、透けた少女が崖の上からその真紅の竜を見下ろした。
「キシヤアアアア!!」
もはや、人の言葉すら忘れたドラゴンは、少女が何を言ってるのかも理解できないように見えた。
ふっと、その金色に光る双眸が、爬虫類独特に、縦に凝縮されてふわふわ漂う、金色に発光する少女を見上げた。

「言葉をもう忘れそうだ。ああ、せめて故郷に戻ることができるのなら――ー」
渇望に似た想いは、叶わないのだとドラゴン自身がよく理解していたのだけど、煽るように金色の少女は、ふわりと金色の翼を広げて指を差す。
「もう少し、待って御覧なさい。金の天使に羽化する少女がくるわ」
「本当か?」

どんどん濁っていく金色の瞳。
キシャアアア。
また、ドラゴンが雄叫びをあげた。それは深く悲しくそして絶望めいた。
それでも、人であった頃の心は忘れないようしてもう5千年。
渦巻く瘴気にどんどん汚染されていった竜の体は、取り返しがつかないように、彼女の精神を蝕み、そして人の心さえも失わせた。
ロゼッタレッドと異名をとっていた人間時代。まるで姫君のように扱われ、有頂天になっていたのかもしれない。
金の天使になったあと、そのあとに待ち受けているものを知らなかったから。
だから、こうしけ化け物となり果て、この世界を彷徨っている。
彼女は確かに金の天使であった。だが、夢を見続けるシャナを目覚めさせることはできなかったし、元の地球に戻ることもできなかった。
ロゼッタレッドの隣には、けれどかつては黒き獣と呼ばれていた黒豹が、いつも彼女を守るように侍っていた。

人の町や村を襲い、家畜や人間を食い殺したロゼッタレッドは、いまや無用の長物。かつては権威ある炎の竜を崇められ、恐れられてはいたが、殺されるような真似はなかった。
ここ数日、ここにやってきたモンスターハンターの数は10人をこえている。
国が莫大な懸賞金をロゼッタレッドの首にかけたのだ。
 
「御機嫌よう、ロゼッタレッド」
かつて、赤い髪が美しいともてはやされた金の一族の、天使に羽化することができ、人々を導いた、ロゼッタ・リリーという名の聖女は、今や人の形を崩し、ドラゴンとなった。

ロゼッタレッド―――。
今でも、鼓膜にこびり付いて離れない、その名前。燃えるような赤い髪が美しいと、賞賛されたその美貌。麗しき日々は、今は過去の産物。
今は吼えたけ、そして炎のブレスを吐き、身に真っ赤な髪の変わりのように真紅の鱗と鬣、それに角。二本ある角のうち一本には、金色のペンダントが巻きついていた。
まだ人であった頃、黒き獣、黒豹が人型をとった時に買ってくれた、大切な大切な思い出の品。
名前は、ランジュ。
そう、あの黒き獣はいつもランジュと名乗る。
人の赤子の魂と姿かたちと声を食らい、この世界に人として降臨し、その肉体が限界にくれば、金の一族がいる限り、新しい人の子を食らい、また人の形を留める。金の一族がシャナからいなくなれば、太陽神殿に奉納されてある神像となって眠りにつく。
眠っては目覚め、眠っては目覚め。
ロゼッタレッドは、運よくランジュを手に入れた。もっとも、それはこの生きてきた5千年の歴史を振り返ると、一瞬の出来事のようであったけれど。

確かに愛し、愛されていた。
ランジュ――。
愛しているわ。

そう囁くように喉をならすと、漏れるのは空気が四散していくような音と、グルルルという鳴き声だけ。

金の一族の、金の天使に羽化する少女がくるというのなら、絶対にその傍にランジュはいると、ロゼッタレッドは確信する。
金の天使に羽化する者だけを守り、見つめるのだから、ランジュは。
いつも愛らしい少年の姿をしていて、食らった人の子の容姿を、無理やり自分のものとして変えて、茶色の髪に深い紺色にも似た蒼の瞳をしていた。
彼は、ロゼッタレッドの傍にあった頃、一度肉体を変えた。肉体に限界がきたのだといって、数週間姿を消して、人の赤子の存在を食らい、そして急激に成長して、元のランジュと同じくらいの少年の姿で戻ってきた。本来なら、その両親の子としてゆっくり成長していうのだが、ロゼッタレッドを守るために、無理に成長を加速させ、そして結果、ロゼッタレッドが金の天使に羽化した頃、その肉体にも限界が訪れ、獣の姿に戻った。

時折、黒豹を意識したかのような、黒い肌に黒髪、黒目の少年の姿をとることはあったが、このシャナの世界で黒髪と黒目は珍しすぎる色。一目につくからと、黒豹の姿で金の双眸を輝かして、ロゼッタレッドがシャナの世界で歩む道を守っていた。
そう、まるで運命のように、必然的に金の天使として羽化した後に待つ、その宿命を。

ランジュは教えてくれなかった。
金の天使として羽化した後、待ち受けているものがなんであるのか。
人に尊ばれ、聖女とまで祭り上げられて、ロゼッタレッドの心はまるでこの世界の王のように尊大になっていた。その彼女を追い落とすよりも酷い仕打ちに。

何故、教えてくれなかったのだろうか。
今でも思う。
教えてくれていたら、金の天使になど、絶対に羽化しなかったのに。かろうじてドラゴンの姿をとることができたのは奇跡ともいえるか。
金の天使としての溢れる神力が多かったせいで、まだこの世界の命ある存在の姿になれた。

「ああ、口惜しい。愛しているのに憎い―――ランジュ」

キシャアアア。
また、甲高い咆哮が世界を揺るがした。
金色に濁った瞳で、ロゼッタレッドは空に浮かぶ地球を見る。エデンと、このシャナの世界の人が呼ぶ星。そして、ロゼッタレッドだけでなく、金の一族全ての生まれ故郷たる、緑と水の惑星。

「本当に、綺麗な赤」
百合子は、また勝手に「彼」と彼の母であるシャナの夢をみる少女が住まう館を抜け出して、ロゼッタレッドが住まう渓谷に来ていた。
うっとりと、太陽の光に色をかえる、真紅の鱗を見下ろす。
まるで揺らめく炎のような、鱗。
さぞ、竜素材にすれば一財産築けるだろうに。
ドラゴンの鱗、瞳、角、鬣、血。どれもが、魔力を帯びた強力な道具や武器防具の元になる。特に血は、一時的ではあるが、人の老いを止めてくれる秘法薬として、金持ちの貴族や王族皇族の間で愛用されている品。
そのせいで、ドラゴンの密漁は後を絶たない。今では、数も少なく、国家単位で保護を呼びかけて、無意味にドラゴンを狩る真似は禁止されている。
元々、ドラゴンはこのシャナの世界とは違うドラゴンだけが住まう、竜界という場所に住んでいる。そこからシャナの世界にまで生息地を伸ばして、昔はシャナに住むドラゴンの数も多かったが、シャナの世界は、ドラゴンにとって毒でしかない瘴気が渦巻いていて、長い間いれば気が狂うので、竜界に戻ろうとするドラゴンも多かった。
もっとも、狂うほどの人と同じかそれ以上の知恵を持つドラゴンは、なかなか元の竜界に戻ることができなかった。同じドラゴンと呼ばれているが、モンスターに分類されているドラゴンもシャナの世界には存在する。
ドラゴン、と呼ばれているが、人語も話さぬただのモンスターは、竜界からきたドラゴンとは格が違う。竜界からきたドラゴンたちを総称してドラゴンロードと呼ぶ。シャナの世界のモンスターのドラゴンは、ただのドラゴンだ。
時折、モンスターのドラゴンでも人語を理解し、魔法を使うような知識高いドラゴンも生まれるが、やはり竜界のドラゴンには適わないだろう。

昔は神と尊ばれた、竜界のドラゴンたち。
残っている固体は少ない。
その一匹に、ロゼッタレッドは入っていた。人の言葉を操り、真紅の炎纏うドラゴンとして。
この渓谷に住み続けて5千年ほど。

「お嬢様の元へ、いってくだしまし!」
百合子は、人としての思考が濁り、ただのモンスターに堕ちそうなロゼッタレッドに向かって、真空の刃を上空からいくつも放った。

ギャオオオオオ!!
鼓膜が破れそうな、痛みを訴えるロゼッタレッドの悲鳴に、百合子はゆっくりと礼をした。
「お嬢様をよろしくお願いいたします」
ふっと、現れたのと同じくらい唐突に、百合子は館に繋がるゲートの扉をくぐって消えてしまった。
その場に残されたのは、真紅の鱗を傷つけられ、血を流しながらのたうちまわる巨体。
「死んで、しまえ。みな―――」
まるで怨嗟のような、人の言葉として聞き取れるその台詞は、すぐにシャアアアアと、荒れ狂うロゼッタレッドの咆哮と、ガラガラと崩れ落ちる岩の音にかき消された。


カラカラカラ。
街道を走り続ける馬車は、レトという人口の少ない村に到着した。それより先、街道が封鎖されていた。仕方なしに、村で宿をとって、村長にあって、理由を聞くと帰ってきた応えに、ランジュが凍りついた。
「ロゼッタレッドというな、炎竜が暴れまわっていて。ここより先の町や村をいくつも滅ぼした。人も家畜もみなロゼッタレッドに食われるか殺された。派遣されてやってきたモンスターハンターもやられたんだろう。帰ってこないんだよ」
「ロゼッタレッド――」
その名前が、ただの偶然であればいいと、ランジュは息苦しくなった。
「ロゼッタレッドは―――ドラゴンなんだろう?」
「ああ、そうじゃ。ここらを守る守り神としてかつては崇められていたんじゃがなぁ。瘴気にでもやられたのか、狂ってしまいよった」
「そのロゼッタレッドを退治しないことには、街道の封鎖は解けないと?」
ティアゼイドが、村長に質問すると、村長は髭を片手で撫でながら、ゆっくりと頷いた。
「莫大な懸賞金がかけられておってなぁ。だが、ドラゴンスレイヤーの異名をもつモンスターハンターたちが殺されたと聞いて、なかなか新しいモンスターハンターが動いてくれんのじゃ。王に、書簡を出して始末を願い出たが、このままモンスターハンターたちに任せると。それで無理なら、兵を動かすらしいわ」
兵を動かせば、莫大な資金がいる。それに、戦死者は千を余裕で越えるだろう。兵士は国の民でできているのだから。王にしても、できるだけ兵、軍隊を動かしたくないというところか。だが、退治せねばロゼッタレッドはまた見境なく町や村を襲って人を殺す。王が守るべき民が。殺されていくのを、黙認しているわけにもいかぬだろう。だからこそ、莫大な懸賞金をかけて、できるだけ被害が小さくロゼッタレッドを仕留めたいところなのだろう。

「その竜退治、乗った」
「ティアゼイド?」
ルリが、本当に大丈夫なのかと、その銀の髪を見るが、彼の紫の瞳にはそれしかないといった色が浮かんでいた。
「街道の閉鎖を解くしかないだろう。退治せねば、いつまでたってもここで足止めをくらう。違う道を進もうにも、どの方面もロゼッタレッドのせいで封鎖ばかりだ」
「でも、ドラゴンなんて。本当に倒せるのかな?」
「何、皆で力あわせれば倒せなくはないだろう」
ティアゼイドは、ルリの頭を撫でる。
アフレイは欠伸をしていた。
ただ1人、ランジュだけが蒼白い顔で、何も言えず、苦しげに眉を顰めるのだった。


携帯サイト「シャナの夢」より

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