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惹かれゆく者「アイリス」

何日かたって、少女と出会った中庭にやってくると、そこに少女はいた。何度か通いつめて、やっとまた出会えた。
長い濃紫の髪を風に靡かせて、両手を広げて空に向かって歌っている。とても美しい歌声だった。まさに歌姫。
いろんな時代で歌姫と呼ばれてきたどんな歌手よりも遥かに高みをいく彼女の声に、ニールは瞬きさえも忘れて聞き入っていた。

パチパチパチ。
ニールが拍手を送ると、少女はペコリとお辞儀した。
質素な白のドレス。レースやフリルは控えめで、それでもそのドレスはシルクで出来ているのか値段にするととても高そうだ。
「始めまして。この前はごめんな。俺、ニールっていうんだ。住み込みの庭師をしている」
「始めまして」
少女は高い声で囀るように挨拶をしてくる。
そこに、昨日会った時のような怯えの色はなかった。
「この前はすみません。突然だったもので、びっくりしてしまって」
「こっちこそ、ごめんな。名前はなんていうの?」

「え」
少女はガーネット色の瞳を瞬かせる。
「え・・と」
「教えられない理由でもある?」
「い、いいえ。ティエ・・・じゃないア、ア・・・アイリス。アイリスです」
「へぇ。綺麗な名前だな。ぴったりだ」
「どうも」
「ティータイムにしないか?用意してきたんだ」
中庭には、何組かのテーブルと椅子がある。そこの一つに座って、ニールは高そうなマイセンの白いカップに、お湯を注いだティーポットを傾ける。
コポポポポと音をたてて、マイセンの白磁のカップに薄い茶色の紅茶が、よい香りと一緒に注がれた。
「アッサムでよかったかな」
「あ、はい。アッサム大好きです」
ティエリアとティータイムをする時によく飲むのだけれど、そのままアッサムの茶葉をもってきた。ソフトドリンクよりは、こんな綺麗な中庭だし、紅茶がいいだろうとニールは思った。

白磁のカップと同じくらい白い肌の少女、アイリスがカップを傾け中身を口にする。
「美味しいです」
「お前さん、ティエリアとリジェネの兄弟じゃないのか?」
「あ、えと・・・・違います。従兄弟です」
「そっか。従兄弟にしては瓜二つだな」
アイリスと名乗った少女は、チクリと心臓が痛むのを押しやって、精一杯の笑顔を浮かべる。
「あの、ニールさん」
「うん?」
「ティエリアさんには会いましたか?」
「ああ、会ったよ」
「どんな印象を持ちましたか?」
「いい子だよ。17歳とは思えないくらいしっかりしてて」
「そうですか・・・・」
アイリスはまたカップを傾けた。
「どうした?気になる?」
「いえ、ティエリアさんにヴァイオリンを教えていると聞いたもので。私もあなたのヴァイオリンが聞いてみたいなと思って」
「OK!また明日この時間に会おう。ヴァイオリン持ってくるから」
「あ、はい」
「約束な」
ニールはアイリスと指きりをした。

そのまま1時間ほど談笑して、ティータイムは終わった。
アイリスは、刹那と同じで両親を幼い頃になくし、シュヘンベルク家に引き取られたのだという。
「俺も、子供の頃に両親を亡くしてるからさ・・・その、辛さとか分かる」
「そうなんですか」
アイリスが驚いたようにニールを見つめる。
「いやまぁ、もう乗り越えたけどな」
「私はまだ・・・・」
「そっか。俺と恋人になんない?」
突然の申し出に、アイリスは困惑する。
「その、すぐには無理です。まだあなたという人間がどんな方かまだよく分かりませんし」
「うん。ちょっとずつでいいからさ。お互いを知っていこう。それで、よかったら付き合おう。身分の差はあるし、年齢もちょっと離れてるけど」
「そんなのは問題じゃありません!」
アイリスは立ち上がって、身分だとか年齢だとか、そんなことに拘っているのではないと必死で説明してくれた。

「ただ・・・・・」
「ただ?」
「私は、鳥篭の中のカナリアのような存在なので」
「どういうこと?」
「シュヘンベルグ卿から、外にあまり出るなと。その、一族でも貴重な女性なので、たぶらかされたりしないか心配だと」
「ははは、すでに俺がたぶらかしてるな」
アイリスは目を何度かパチパチとさせてから、ゆっくりと微笑んだ。
「いいえ、あなたはそんな存在ではありません」
「へぇ?この前あったばかりなのに、そんなにフォローしてくれるんだ?」
「あ、いいえ。ティエリアさんからそう聞いているので」
どうやら、ニールは好印象らしい。
なんだかこそばゆいかんじがした。愛らしい少女ともっと時間を共にしたいと切に願った。
「あ、いけない」
「どうした?」
「そろそろいかなくては。ある方に、音楽を教わっているもので」
「声楽?」
「あ、はい。そうです。声楽と、フルートを」
「おっと、俺もこんな時間か。ティエリアにヴァイオリンを教える時間だ」

二人はそのまま別れて、次の日も会う約束をした。去っていくニールと入れ違いのように、刹那が入ってくる。
「いいのか。正体を教えなくて」
「教えたら、あの人は絶望する」
「どうして?お前は、れっきとした女の子だろう。シュヘンベルグが勝手に嫡子、長男として育てているだけで」
「それだけなら、構わない。なんの弊害にもならない。でも、刹那も知っているだろう。僕は「女の子」じゃない。その出来損ないだ」
アイリスの正体は、やはりティエリアであった。
ティエリア・アーデ。シュヘンベルグ家の嫡子、長男そして育てられている彼、いや彼女は正確にはリジェネと双子でさえもない。
イオリア・シュヘンベルグが金を投資して作り上げた、遺伝子操作を受けた子供。男にも女にも属さない、無性の天使。イオリア・シュヘンベルグが愛した愛娘「アイリス」に何処までも似たように作られた、紛い物。
「僕は、なぜ彼を拾ったんだろう」
「それはお前しか分からない」
「せめて・・・僕の存在が、刹那やリジェネのようであれば良かった。だって僕は!!」
「言わなくていい」
刹那は首を振る。
ティエリアの瞳には涙さえ浮かんでいた。
「分かってる。どうにもならないってことくらい。性別がどうのとかそんなこと、まだ小さいほうだ。僕の存在がこの世界ではおかしいんだ。そう、ありえない。本当の「ティエリア」は、2年前に死んだんだよ?」
「でも、リジェネは受け入れただろう。お前を兄弟として」
「そうだね・・・・」

そのまま、刹那はティエリアの耳元で何かを囁く。
その言葉に、ティエリアは微笑んだ。

「ありがとう、刹那。大好きだよ」
「俺もだ」
「そろそろ、いかなくちゃ」
「お前は、人間だ。誰がなんと言おうと」
「うん」
ティエリアは、中庭からアイリスとして与えられた部屋に戻ると、祖父に挨拶をしてからいつもの貴族の嫡子らしい高価な服を身に纏い、自分の本当の部屋に戻る。
「遅かったな、ティエリア。俺、お前の従兄弟っていうアイリスって子とお茶をしてたんだ」
「あ、はい。アイリスはどんな子だと感じましたか?」
「いい子だよ。お前によく似てる。雰囲気が」
「えと・・・喜んでいいんでしょうか?」
「ははは。今日はなんの曲をひく?」
楽譜を手に、ニールはヴァイオリンを少しだけ奏でた。
「アイリスを大切にしてあげてください。彼女は、本当の愛を知らない」
「ああ、告白してきた」
「そうですか」
それを当たり前のように喜ぶこともできないティエリア。

だって、アイリスは作られた存在なのだから。ティエリアのもう一つ、いや真実の姿というべきか。シュヘンベルグが最も愛する存在。そして与えられた「ティエリア」という自己存在さえも、紛い者だ。本物のティエリアは2年前に事故死している。
彼女は、いろんな紛い物。アイリスの紛い物、少女の紛い物、ティエリアの紛い物。

ニールからヴァイオンを教わり終わったティエリアは、ベッドに身を投げ出した。
「真実の愛で愛されたら、人間になれるかな?」
涙がすーっと頬を伝う。
やがて、リジェネが入ってきた。
「ティエリア」
「リジェネ」
ティエリアのいるベッドに、リジェネは座って優しくティエリアの頭を撫でた。
「誰がなんていっても、君はティエリアだよ。還ってきたんだ。僕の兄弟が」
「リジェネはいつも優しいね」
「当たり前だろう?君の半身なんだから」
微笑むリジェネに、ティエリアも一緒になって微笑んだ。
半身を起き上がらせたティエリアを、リジェネは優しく包みこむ。
「泣かないで」

リジェネは、ティエリアを最初に受け入れた人間だ。
「暖かいよ・・・・ねぇ、リジェネ」
「なんだい」
「僕は君に出会えて良かった。刹那にも」
リジェネはティエリアの額にゆっくりキスをすると、二人は一緒のベッドで眠ってしまった。

「心配になってきてみたら・・・・子猫か子犬か」
刹那が、ティエリアの部屋の扉をゆっくりと閉じる。

ティエリアは、たくさんの者に愛されている。
でも、彼女は真実の愛を知らない。
だって、その容姿が「ティエリア」でなければみんな遠ざかっていくだろう。それにティエリアは薄々気づいていた。それが、涙を零させる原因にもなっていた。


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